相続手続きー預貯金

2008-05-29

預貯金の相続について

現在相続手続き業務の進行中です。
相続手続きそのものが細心の注意を払って資料の収集を行い、各種資料を作成しなければならない業務なのですが、その中でも預貯金の扱いについては注意が必要です。
預貯金の払い戻し、名義変更では、各金融機関が用意した独自の申請資料で請求する必要があります。「独自」と表現しましたが記入方法が見事なほどバラバラです。

行政書士として相続業務はかなりの数をこなしていますが、その書きにくさには辟易としています。

遺産相続争いに巻き込まれたくないとの金融機関の思料は理解できますが、用意されている資料はあまりにお粗末です。表現が整理されていない上、なぜか品質の悪い用紙をあえて使っているとしか思えず、見ただけでウンザリしてしまいます。

私共は業務として行っておりますので、経験に基づきそれなりの判断も出来ますし、少々待たされても電話で質問、確認(この種の電話は他の業界を含めなんでお客さんをこんなに待たせるのでしょうか?)して進められますが、専門家に依頼せず、相続人自身が手続きをするのは本当に大変だと思います。
現在進行中の業務では配偶者である未亡人が高齢で、私が代理するための委任状についても、委任事項、住所、氏名を自筆であることを要求されるなどかなりの負荷が掛かかってしまいます。このあたりも、高齢者、弱者への目配りが全く感じられません。

また、亡くなった方(被相続人と云います)の預貯金の残高照会は有料です。長い間預金していただき、その資金を活用して金融機関は利益を得ているのですから、無料にすべきだとと思いますが如何でしょうか?

ここで疑問なのですが、預金通帳が紛失していて、遺族が金融機関に預貯金があることを知らない場合は、その預貯金は誰の物になるのでしょうか。銀行の雑収入処理でしょうか?

相続を巡るトラブルを避けるためにも、相続者が理解しやすいよう金融機関同士で話し合い、種々の相続のケースを取り上げ、豊富な記載例を載せた標準書式を準備するべきだと思いますが、残念ながらそのような話は聞こえてきません。

金融機関各位にあっては、これから迎える大相続時代に備えるべく、上記相続資料を整備されることを強く希望致します。

定点観測

定点観測と云うのは、同じ景色を同じ撮影位置から、何年もその景色の春夏秋冬を撮り続ける.または考現学(最近はあまり耳にしませんが)で、例えば銀座の四丁目の交差点という固定された場所で、数年の渡り女性のファッションを観察し、過去から現在への移り変わりを調べるなどの学問を云います。

仕事に疲れたときに稲荷町の”veloche”にコーヒーを飲みに行きます。そんな時は、普段あまり吸わない煙草が吸いたくなり、2階の喫煙席に席を取ります。

窓ガラスに面したカウンター席がお気に入りの場所です。
目の前は稲荷町の交差点で、対角線上に地下鉄稲荷町駅の階段出口があります。

午後に行くことが多く、階段の出入り口を通る人は疏らです。コーヒーと煙草を楽しみながら、それらをボーッと眺めている時、「これって、定点観測だ」と思った次第です。

ここから映画の話です。定点観測をテーマにした(?)映画がありました。1995年に公開されたハーヴェイ・カイテルが主演で、香港のウェイン・ワンが監督した「スモーク」がそれです。

場所はニューヨクのブルックリン、街角の煙草屋の主人がハーヴェイ・カイテルです。毎朝、店の開店準備が終わると、三脚に取り付けたカメラを持ち出し、一枚写真を撮ります。写真は何千枚も撮られています。そのカメラはcanonのAE-1でした。

映画のストーリーにその写真が重要な役割を果たしますが、別にびっくりするようなシーンが写っているわけではありません。
ともかく、毎日毎日朝一枚だけ撮られた「街角の写真」を中心に物語は進んで行きます。カットバックが多用されており、話が何度も過去に戻ったりして、チョット解りにくいのですが、まさに「人生なんて、煙草の煙のようなもの」と言った、気張らず、でも交わされる会話は結構深い、粋な映画でした。

その続編が主役、監督が同じで、「ブルーインザスカイ」です。
マドンナが恋の郵便配達役で特別出演、ストーリーとは直接関係ないのですが、愛の歌を歌って、かわいくお尻を振りながら去っていくシーンはなかなかに良い場面でした。

大分古い映画なので記憶も曖昧でしたので、どうかな?と思いながらネットで情報を探すと、多くのファンがおいでのようで、情報が沢山ありました。

この映画を見た当時、「面白かったよ」と云っても、私の周辺で見た人はいませんでした。それが13年もたっても多くのファンがネット上で情報提供しているのです。
とても赤の他人とは思えません。お会いできましたら「スモーク」を肴に水割りでも飲みたいと思います。

兼好法師は徒然草の中で「ひとり、燈のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。」と書いていますが、このような気持ちを云うのでしょうね。